ーー 誘惑 ーー



「っ・・・うっ・・・」

駄目だ・・・


声を上げてはいけない・・・
顔を歪めても・・・
呼吸も止めてはいけない・・・

「あ・・・っ・・・」
名前を呼んでも駄目だ・・・

平気そうに。こんなの大した事ないって・・・

だって・・・

雪男が見てる・・・・

俺を見てる・・・・


・・・・







「依頼?」
「そう。新しい依頼で出張命令が来てるんだよ。兄さんにね。」

燐は学校と塾にとその日のスケジュールを終え、夕食後部屋に戻った。
ベッドに転がしていた昨日から読みかけの雪男のスクエアを寝っ転がりながら拾う。
その姿を無言で眺めた雪男は燐の前まで来て更に無言の後、口を開いた。

「俺、候補生なのにもう仕事出来んのか?!」
「今回は特別な依頼なんだよ・・・・サタンの力が必要なんだ。」
「強い悪魔なのかっ?!」
「・・・・とにかく、週末の土日で出発する。着替えの準備をしておきなよ。」


そう言われたのが水曜日の夜だった。
そして、本日土曜日。雪男と二人で新幹線の中に燐はいた。
雪男は今日は祓魔師コートではなくスーツ姿でのご登場だ。
何でもコート以外の格好はスーツが一番信用されるんだと。 
確かに背の高い雪男が着ると様になってるけど・・・
燐の方はいつも通りの制服に学園支給のナップサック。
これじゃあ同い年に見えない。
いつもの事だと燐は然程気にも留めず横の雪男を観察する。
雪男は朝の日課通りにここでも新聞を広げて読み進めていた。



・・・・・
おっさんだな。
出張の悪魔祓いなんて、俺てっきり大人数で行くのかと思ってた。
隊とか組んで・・・
でも、それだと街中はスゲー目立つからこの方がいいんだけど・・・
・・・・?
現地で合流するんかな?
あんま聞きすぎると雪男ウザがるから嫌なんだよな〜
こんならあん時どんな仕事なのかちゃんと聞いとけば良かった。


燐がうんぬんかんぬん窓の景色を流しながら考え事をしていると、隣の雪男が新聞を畳みだした。
「あ〜、兄さん。こんな所で変だけど、本当に好きな人はいないんだね。」
「なっなんだよ、急に・・・!最近そればっか聞いてくるけど何なんだ?いねぇって言ってるだろっ!」
車内は旅行の楽しげな会話の中、雪男は新聞を手前の籠に挟むとここ2週間前から燐に繰返した質問を聞いた。
「僕には言いづらいとかある?あ・・・いや、いないならそれでいいんだ。」
雪男は燐の顔をチラリと見ながら言った。
「・・・・俺が誰が好きかなんて、お前気になるのか?」
雪男の視線に燐もチラリと目を合わせた。
「あ〜まあ、そんな所かな。はは。」
「へえ〜、そっそうか。まあ〜出来ても雪男には教えてやらんけどなぁ♪」
「それは困るな。」
「ククッ!」
燐は声をこらえて笑ってみせた。
その笑顔に雪男は何とも言えない表情を返す。
「ん?ゆき・・・」

燐が会話を続けようとした間に車内へ駅到着間近を知らせるアナウンスが流れた。
「あ、兄さんそろそろ降りる時間だよ。」
「ああ。なあ、ここにそんなに強い悪魔がいるんか?」
「・・・・忘れ物しないでね。」
雪男は小さめのボストンバッグを棚から降ろす為に立ち上がった。
燐も回りを確認し、渡されていた切符を取り出した。
『○○』切符に記された目的地に到着した。


駅の出口を目指しながら雪男は後ろの燐に話しかける。
「まだ時間があるから観光してもいいよ。近くに美術館とか遊園地とかあるみたいだし。」
「この格好で遊園地はねぇだろ!」
雪男の思いがけない提案に燐はギョットする。
「あはは、まあ、そうだね。じゃあ、何処か喫茶店で時間を潰そうか?」
「あ・・・遊んでもいいなら、俺、海に行ってみたい。ダメか?」
「!いいよ。このまま行こう。」
そうしてタクシーに乗り込み。駅から5分程の海岸に降りた。

燐は一人砂浜を歩く。


・・・・・
何かおかしい。
いつもなら、何をするにも何処へ行くにも勝手に決めてる雪男。
俺の意見なんて花っから頭になんてないはずなのに。
・・・・・
そうだ!
おかしい。

雪男の荷物が少なすぎるんだ!



燐は遅れて歩く雪男に振り返って言った。
「なあ?この後は何処に行くんだ?依頼って悪魔祓いじゃないのか?!なあっ!」
「・・・・。大丈夫だよ。僕が付いてる。」
「・・・・・?」
燐の顔を見てこない雪男を前に燐の疑問は不安へとすり替わった。


砂浜で数時間過ごし、近くで昼食をすました。
その後のルートは雪男に任せた。
燐にはこの依頼は何なのかで頭がいっぱいで、何処へつれてかれても楽しめない。
「・・・・・」
「・・・じゃあ、そろそろ行こうか?」
太陽が夕日に変わろうかという頃に、雪男は道端でタクシーを止めて言った。



「ようこそいらっしゃいました!?」
「正十字騎士団の奥村です。本日はお世話になります。」
雪男はタクシーから降りると、車の側まで来た出迎えの男に名乗った。
「え・・・」
後から降りた燐は雪男を越えた奥にあるバカデカイ建物を見上げて驚いた。
「ホテル・・・?」

見ると出迎えの男はホテルの代表者のようだった。
「お部屋もお食事の用意も出来ております。お部屋はお約束通り最上階に。」
ホテル内を歩きながら雪男と話しはじめた。
「ありがとうございます。確認ですが、最上階の他の部屋は・・・」
「はい。最上階の21階に20階の部屋は他のお客様のご予約はありません。お二人だけに。」
「では、早速ですが部屋にはいります。人払いをお願いします。」
燐は雪男の後ろをついて歩く。
ホテルは広いがかなり古い。内装や建物の形から昭和をイメージさせる。
その暖かくも重い雰囲気が珍しく燐は周りを見回しながら歩いた。

男はそのまま最上階の二人が泊まる部屋まで案内した。
部屋は最上階だけあって広い。
まず入った部屋には大きい薄型テレビが壁に掛かり、それを囲むように大型のソファーが3台並んでいる。
広い窓と広いベランダからは先程歩いた海の景色がまるで独り占めしているかの様に広がっていた。
「ええ、で・・・その場合は我々は・・・」
燐を無視して話し込む二人を背に、燐は部屋を物珍しげに見る。

燐と雪男の父親代わりの藤本はほぼ年中無休と言って良い神父の職業に就いていた。
泊まり掛けの家族旅行なんて行った事がない。
学校行事は全てサボっていた燐にとってホテルが珍しくてしょうがないのだ。

部屋中の装飾品、タンス、クローゼットを開けては閉めてを繰り返した後、
もう一つ部屋がある事に気がついた。
ドアを開ければこちらと同じクラッシックな内装の広々とした空間の中に、キングサイズのベッドが一台悠然と構えている。
「うわっ!」
その部屋を覗いた燐は思わず声を上げる。

そうこうしている間にも食事が運ばれて来た。二人の女性従業員がテーブルクロスから広げはじめる。
雪男は変わらずさっきの男と話し込んでいる。
燐は訳が解らぬまま全てがおさまるのを部屋の隅に立って待った。



「兄さん。折角だし先に食事にしようか。」
最後の男が部屋を出た後、雪男は振り返って燐に言った。
「ちょっと、待てよ!全然わかんねぇよ!依頼って何なんだっ!!」
「説明するよ。食べながら聞いて。」
雪男の腕がそっとソファーを指し示す為、燐はしぶしぶ腰を降ろした。

「まず、このホテルにはクロのように守り神になる悪魔が憑いている。」
「そうなのか?・・・」
「そう、気付かない程に弱っているんだ。このままだと後半年ももたないうちに消滅するだろう。」
「それだと良くないのか?」
「・・・今日の依頼はその悪魔の魔力復活の手助けなんだよ。悪魔祓いじゃない。」
「どうするんだよ。」
「僕等エクソシストでは出来ない。サタンの子である兄さんに、その・・・」
「何だ?俺は何をすればいいんだ?」
雪男は一度燐の顔を伺い、目を伏せて。
「ここの悪魔に今夜一晩抱かれてもらいたい。」

「・・・・は?」
「その、抱かれるって意味は解る?本来なら女性が・・・その・・」
「ちょっ、待てよ!何だそれ!?何で復活の手助けがそうなるんだ!」
「通常の悪魔は人間の悪意をエネルギーにする。だから、成長すれば祓わなければならない。」
「っ・・・・」
「けれど、この悪魔は人間の欲望のみをエネルギーにしている。観光地には珍しい事じゃない。
 無害だし、このホテルにとっては守り神なんだよ。」
「・・・・」
「欲望の直接的な行為としてソレが一番早いらしい・・・」
雪男の説明に燐の表情が強ばっていく。
「この部屋に来る間。他の観光客何人とすれ違った?少ないだろ?このままじゃ経営も半年はもたないそうだ。
 そうなれば、従業員だけじゃない、その家族。観光業事態にも影響が出るんだよ。」
「だからって、」
「解ってる。悪魔に抱かれるなんて、簡単に出来る事じゃない。」
「ほ・・・なんだ、なんか別の方法があんだな!。そうだよな。」
「・・・・ああ、その・・・悪魔の代わりに僕に抱かれてくれないか?」
「・・・・・は?」
雪男の言葉が一瞬理解出来ない。
燐は雪男の顔を見続けた。
「まあ、やっぱり嫌だよね。こんな方法。」
「えっ、あっ・・・・」
しばらく無言が二人の間に続いた。雪男はなんと説明しようか考えて。
燐は頭がパニックになってしまった。

「あ・・・」
「何?」
最初に口を開いたのは燐だった。
「こんな仕事だって知っててここまで連れて来たのか?何で、もっと早くっ!」
「フェレス卿は兄さんにここの現状を見てもらってから伝えるようにと。」
「メフィストが・・・?」

「ごめんね。出来る事なら兄さんの想う人とここに来て欲しかったけど、」
「!お前っ、だから!あんな事聞いてたのか!?」
「・・・・ああ、一度出直したっていい。兄さんが好きな男ともう一度ここに来てくれるなら・・・」
「や、だから好きな男なんていねぇって言ってるだろ。」
「・・・・やっぱり男なんだね。」
「!」

「?あっ!あ・・・・」
燐の身体が電流が走ったかのように硬直する。大変な事を言ってしまった。
ガタガタと震える手を押さえる事が出来ない。
「兄さん。いいんだ!兄さんにとっては普通の事なんだ。」
みるみる青ざめる燐の表情に雪男の口が素早く走った。
「は?」
「エクソシストには悪魔との血縁者が多い。その殆どが独身者だ。兄さん達にとっては自然な事なんだよ。」
雪男は立ち上がり、燐の横に来るとそのままソファーに座りなだめるように燐の背に手を置いた。
冷や汗を垂らす燐はされるがままに雪男の言葉を待った。
「その人はどんな人?僕が知ってる人かい?」
「えっ・・・え?」
「エクソシストならば事情を説明して任務についてもらって、」
「や、いないっ!いないって!?」
燐は立ち上がって雪男を見下ろした。
「兄さん・・・・」
「お前、頭おかしいのか!?いたとしたってこんな事、頼んでしてくれるもんじゃねぇだろ!?」
「相手は同性愛者じゃないと。」
「言うなぁ!!俺は好きな男っ!たとえ男だとしても好きな奴なんていないっんだっ!」
「兄さん・・・・・」
背中で呼吸を繰り返す。目が今にも泣き出しそうだった。
そんな燐の姿を見上げ、雪男はひとつ視線を外すと。

「僕が相手でも出来そうにないかな?」
雪男も立ち上がった。目は燐を捕らえている。
「はあ?」
燐は無意識に一歩後ずさる。
「僕は今日そのつもりで来た。フェレス卿もそれが良案だろうと。」
「メフィストが・・・・」
「僕は家族だし、変な後腐れも無い。今後兄さんの生活に悪いようにはしないよ。
 その人とも上手くいくよう僕なりに考えるから。」
雪男は一歩一歩燐に近寄って
「だから、いないって・・・」
そっと燐の肩に腕を回した。

「伝える気は無いんだね。」
「・・・・あ・・・」
「僕をその人の代わりに思っていいよ。」


肩を抱く雪男の腕が温かかった。
普段ならありえない優しい動作と口調が余計と燐の頭を混乱させる。

・・・・・・・・
こんな・・・
こんなのってない・・・

ありえない!
おかしい!

メフィスト・・・

あいつ悪魔だ。
本物の・・・

俺の事知ってんだ。
知っていて、全部知っていて・・・
きっと今頃・・・俺達の事を笑ってる。

雪男・・・・
雪男もなんで、こんな馬鹿な・・・・



「弟じゃ嫌?でも・・僕が嫌なら他の男が任務にあてられる事になる。」
「なっ!なんでぇ!そうなるんだよっ!?」
「任務なんだ。ごめん。僕じゃどうする事も出来なかった。せめて、家族の僕なら兄さんが傷つかなくてすむかと思って・・・」
「っ・・・・雪男は平気なのか?」
「僕?、僕は男だし気にしないよ。」
「俺だって男だぞ。」
「そうだけどね・・・・」
雪男の腕が眼前に上がったかと思ったら、次の瞬間髪を撫でられた。

「大丈夫。一応一通りの事は頭に入れて来た。その、下手クソだったら蹴ったっていい。」
「ぷ、お前そんな事ばっか考えてたのか?」
雪男の間抜けな物言いに思わず軽く吹き出してしまった。
「しょうがないだろ。これも仕事なんだ。」
「仕事・・・っ・・・・」


そうだ。
そうだった。
雪男は・・・唯、こんな変な役目にされた俺を可哀想とか思ってるんだ・・・

いつもずっと・・・
悪魔になった俺を可哀想と思ってるんだ・・・

子供の頃は・・・
悪魔になるかもしれない俺を・・・

俺、知らなくて・・・知らなくて・・・
子供の頃からずっと・・・
俺は雪男の特別なんだとばっかり思ってた・・・
違う、違う、
こんな役目でもない限り、雪男は俺に優しくなんかしないし、
一緒に遊園地なんか行かないし、海だって、
肩も抱いたりはしない。
髪も・・・・
髪も撫でてはくれないんだ・・・・!


可哀想でなきゃ雪男は俺を見ててはくれない。


・・・・・・・
やばい・・・泣きそうだ・・・・



「兄さん・・・?」
「・・・わっ、わかった・・・」



こんな事でもない限り・・・

一生・・・

だから・・・・

今夜だけだ。
今夜だけなら・・・・ズルしたっていいかな?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。



「おっ、お前なら・・・我慢して、やってもいい・・・っ・・・」


「!ありがとう!兄さん。良かった・・・」
「?」
「あ、いや、こればっかりは僕だけじゃどうにも出来ないからね。」
言うと雪男は上着を脱ぎハンガーを探しに備え付けのクロークを開けた。
「えっ!もっもう!?」
雪男の行動に驚いた燐が飛び上がった。
背後の燐の様子に気づいた雪男は、不味そうな笑顔にネクタイも外す。
「ごめん。出来る限りその時間は多くとれと言われてて。」
「メフィストにかっ!」
「そうだけど。」
「っ・・・・」

燐が顔を一旦そむけ、そして床から上げた時。
雪男は既に上半身裸だった。
「うわっ!ちょっ、」
雪男は一歩一歩近寄って来る。
「ごめん。殆ど食べてないみたいだけどいいかな?」
「食べる気になんてならねぇよっ!」
後ずさる燐。
だが、本気ではない為すぐに追いつかれる。
「よし、じゃあ、行こう。」
雪男は燐の手を取り引っ張った。
足は隣の部屋へ・・・・












つづく。
「誘惑2」
「誘惑3」
「誘惑4」
「誘惑5」
「誘惑6」

★ここまで読んでくださりありがとうございます。

寸止めてすみません;
まだこれからですが、
読んでくださった方のお心を、少しでも揺さぶれるお話になれたら嬉しいです。

H23.12. 蜜星ルネ  
※このお話はフィクションです。一つの物語としてお楽しみください。

イメージイラストも作りました。




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