ーー 遅れた兄弟関係 ーー



遅くなってしまった。

祓魔塾一年生担当の新任講師、奥村雪男はだだっ広い祓魔塾廊下を早歩きで渡っていた。
本日の祓魔塾の授業にその後の急な依頼。全ての仕事を滞りなくこなした。
だが、急な依頼は予想外だった。
時刻は夜の9時を指そうとしていた。
いっそ走り出したい。
逸る心を制して歩きを進める。
常に仕事も私生活も完璧な雪男だが、どうしても焦りと心配の感情でいてもたってもいられない人物がいた。


課題はちゃんと済ませているのだろうか・・・、食事は・・心配ないだろうが、明日の準備は・・・

ああっもう!! 兄さんは・・・!



カチャ・・
鍵を使って塾校舎から直接寮の二人の自室の扉を開けた。
「あれ?兄さん?」
本来なら机に向かっているべきはずの燐がいなかった。
「逃げたか?」
雪男は何か手掛かりは無いかと燐のスペースをぐるりと見渡した。

特に変わった所はない。風呂かトイレか食事というところだろう。
机の前に立てば、
「課題を済ませた痕跡も無しか・・・これは僕の食事は後回しにするかな。」
雪男は祓魔師コートを脱ぐのもそのままに兄である燐を探しに、入って来たばかりの扉を開けた。


靴が床を叩く音がやたらと響く。この寮は雪男と燐しか居ないのだから当然だ。
燐は雪男から見ると驚く程、睡眠時間が長い。
中学生の頃は兄の勉強をみた事など一度も無かった。
勉強嫌いなのは知ってたし、兄の学力の行方など特に気にした事もなかった。
それに、兄には言えぬ秘密も持ってた雪男には兄を守ると誓いながら、同時に兄を避けてもいたのだ。

「もう10時になるじゃないか!早いとこ課題を・・・いや、寝かせた方が・・・授業中居眠りでもされたら、」
言いながら、顔の筋肉が緩んでくる。
「むはっ!」
堪え切れずに口から何とも言えない声が出た。人前だったら思わず赤面してしまう。
「だめだ!あははっ!」
雪男は一人笑いに不気味に階段を降りた。


中学生の頃、いや小学生の頃から兄の事だけ考えていた。
神父との会話にはいつも兄の話ばかりだったし、修行中も何かと『兄さんを守る』と己の信念を奮い立たせていた。
だが、あの頃には兄弟とは形ばかりの関係だった。
悪魔の真実を知った自分には精一杯の当たり障りのない会話。ケンカなんて一つも無い。
自分は上手くやったし、兄さんはあの頃から馬鹿で優しかったから。
ここへ来て兄さんと生活しているんだと感じる。日常生活の一つ一つから実感が湧く。
今頃になってなんて遅いが、兄さんが悪魔になってやっと兄を近くに感じるのだ。

こんなにも楽しいものだとは思わなかったな・・・


今まで虚像だった燐が今は確かに雪男の前にいるのだ。


兄さんを守っているのはこの僕だ。生活も勉強も世界からも。
ならば、遅い夕食も課題の面倒も何の苦では無い。
いや、たまらない。嬉しい。
「ふふ!はははっ!」




寮は広い。
例え二人だけで自由に使えるとしても日常の生活スペースは固定されてくる。
トイレ、風呂場、食堂、その三ヶ所を回れば雪男の手立てが無くなってしまった。
部屋に戻って再確認。やっぱり燐の姿はなかった。
「あれ?一体何処に行って・・・」

ふと窓を見る。綺麗な月を背に青みがかった夜空が広がっている。
雲一つ無く、透き通って星も美しいかった。
「!」
何か聞こえる。
耳を澄ませてもう一度。


柔らかな夜風が心地好い。燐は寮の建物の塔、屋根の上にいた。
先日燐の使い魔になった猫又のクロを連れて。
『りん!あれっ!あれ、ゆきおじゃないのか!?』
「えっ!?どれ?って、なんだ只の黒いコート着たおっさんじゃん!」
『ちがうのか?』
「違う。良く見ろよクロ、雪男はもっとぉ・・・」

「もっと、何なの?」
ふいに地面から聞きなれた声が聞こえた。人気の無い寮では、小さな会話も良く響く。
「探したよ兄さん。何してるの?」
「ありゃ・・・雪男・・・」

夜空をバックに屋根に立ち上がるその姿は様になってる。
まるで悪魔になってしまうかのようで・・・ 

「・・・えっとぉ・・・」
燐は罰の悪そうな顔をして雪男の言葉を待った。
「ちょっと、兄さん!課題はやったの?お風呂は入った?もう遅い!寝る時間になるんだよ!?」
「あっ!・・・」
「やっぱりか。」
雪男は自身の両手を空に向けて広げた。
「降りといで、早く!」


駄目だ!闇夜は危ない。


「えっ!」
「え、じゃないだろ!さあ!早くっ!」


連れていかれてしまう。今やっと近づいた所なのに!


「えっと、でもぉ〜、いいのか?」
「何言ってるんだっ!!」
燐の遅い反応に一瞬にて苛立った雪男が声を荒げた。
すると、燐の肩にいたクロが飛び出した。
「にゃぁあああ!!」
「あっ!クロ!?」

「えっ?ちょっと・・わああ!!」
クロは雪男の顔面にへばりついて着地した。
ニャアニャア!『ゆきお!おこんないで!?りんはゆきおのことっ!』
「バカ!クロっ!!秘密だって言ったじゃねーかっ!?」

にゃにゃにゃぁ!
「ぶっ・・・むっプハっ!!」
雪男は顔にへばりつくクロを抱き上げて放した。
「えっと、何?クロ?どうしたの?」
にゃにゃにゃぁ!
クロは一生懸命に雪男に何かを伝えようと身振り手振りで表してる。
「う〜ん。クロの言ってる事は解からないけど・・・とりあえず、何が秘密なの?兄さん?」
雪男は燐に顔を向けて通訳を求める。 
「おっ俺に怒んなって、」
「ふーん。秘密って?・・・それだけじゃないでしょう?」


ああ、課題を済ませる時間はもう無いだろうな。

別に常に怒りたい訳じゃないのに・・・
クロも兄さんも、僕は怒るだけとでも思ってるのかな?
只、上手く出来ないだけだ。
距離を近づける人との付き合い方が、距離を保った付き合い方なら簡単なのに・・・
兄弟なのに、上手く出来ないだけだ・・・


クロを地面に降ろして腰を上げた。
見上げた兄さんの顔は明らかに・・・怒んないで、怒んないで、と・・・
今どんな顔をしているか位は軽く想像出来た。

「クロ。怒こったりしないよ。でも、何してたのと聞く位はいいだろう?」
クロに笑顔を向けて言えばクロは喜んだようにニャアン!と答えた。
「ほら、兄さんも降りておいで。今帰ったばかりで何か食べたいんだけど、」
雪男は燐に向かって再度両手を広げた。
「おっ、おお!そうかっ!?今日はスゲーいい肉が特売で買えてな!雪男が帰ってくんの待ってたんだ!」
「え!」
フワリと燐が飛んだ。雪男のもとへ。
「えっ!ちょっ?!」
燐の嬉しそうな笑顔が雪男の目に飛び込んでくる。 
ドッスーン!

「わあぁああああ!雪男ー大丈夫か!?」
「ってぇ!ちょっと・・・何なの!?」
燐は雪男目掛けて飛び込んで、そして二人地面に潰れて着地した。
雪男はそれでも燐を傷つけまいと咄嗟に体を使って下敷きになった。
「何なのってお前こそ何だよ!降りてこいって、受け止めてくれるんじゃねーのか!」
「言ったけど、流石に飛び込んでくるとは・・・」
体を起こし、まだ雪男の身体を跨いで乗ったままの燐と顔を合わせた。
少しふてくされたような燐。
「大丈夫だよ。どこも怪我してない。」
「わりぃ・・・」
その言葉に驚いたのか、燐は肩をすくめて俯いてしまった。
「!・・・ごめん、失敗しちゃった。次は上手く受け止めるよ。」
「!?・・・そっそうだぞ、雪男の下手糞!かっちょ悪りぃ!!」

「うん。ごめんね・・・」
雪男は両手を広げて、燐を包んだ。
「あっ・・・雪男・・・」
途端に燐の両肩が振るえ出す。
「ん?兄さん?・・・・」
「あっ・・・えっと・・・・」
燐の頬はみるみる赤くなっていく。仕舞いには顔を下げてしまった。
「・・・・・・」
雪男にはこの感じに覚えがある。

それは・・・
教室でクラスメイトの女子に話しかけられた時、
放課後廊下で呼び止められた時、
そして・・・
校舎裏に呼び出された時だ。
彼女達は皆、話しかけてきながら頬を染め、俯き、雪男の言葉を待っていた。
喋る言葉など無い。

目の前のその愛らしいとも呼べる姿に、言葉が無い。
頭をバットで殴られたかのような鈍痛。
「えっと、兄さん。部屋に戻ろうか?」
誤魔化すように笑顔を作って、雪男は燐の腕を引く。
途端にビックっと燐の体が震えて硬直した。
「あっ・・・ごめん・・・」
ぱっと手を放した。
「っ・・・・・」
燐は真っ赤になった頬と体を更に丸めてしまう。


・・・・・・・

僕は・・・
一体何を守った気でいたのだろうか。
何も兄さんの事を見ていなかった。
今でも・・・

兄さん
待ってた?
僕を、
ずっと・・・

ずっと前から・・・


「ごめんね。」
そのまま引き寄せて、抱き寄せた。
「うわっあ!雪男っ!」
「大丈夫。」
撫でる様に燐の背に手を添える。


一体何が大丈夫だ?
『普通の兄弟』になるには僕等は互いに焦がれすぎた。
腕の中で震える体と波打つ鼓動がそれを知らせている。
こんな時、普通の兄弟はどうするんだ?


雪男は呆けた顔を空に上げて一つ呼吸をする。
「それより兄さんは?痛いところは無い?」
燐は雪男の問いにコクコクと頭を揺らして答える。
抱き寄せられてから雪男の体にくっついていて、その表情は見れない。
「・・・・」
焦れた雪男は体を少し離すと流れる様に燐の頬に触れた。


「あっ!ゆきっ!・・・・!!」
その刹那・・・
「っ!兄さん・・・・何故?泣くの・・・・」
燐は大粒の涙をこぼしていた。






雪男と燐、二人は寮の廊下を黙って歩いた。
雪男は涙を止めない燐の手を引いて。クロが心配そうに後ろから着いて来た。
「課題も食事も明日の朝にしよう。いいね?」
コクコクとうなずく燐。
「今夜は兄さんはもう寝るんだ。朝僕が起こすから、ちゃんと起きるんだよ。」


どうしよう。
明日、朝起きて、どうするんだ?!
この心をどう守ればいい?

止まらない!
冷や汗も、心臓の音も、


「ゆっ雪男っ!?」
「!」
呼ばれて足が止まる。振り向く。
「ごめっ・・・俺が泣いたりして・・・」
「・・・・・・・」
「ごめっ・・・っひ、おこっない・・で!」
「っ!怒るわけないだろうっ!!」

「うっ・・・・」
燐の涙が更に溢れた。
自分自身でもどうして涙が出るのか解からない様だった。



兄さんを守る為に生きてきた。
兄さんを守っているのはこの僕だ。

それは、明日になっても変わらない。変える事は出来ない。



覚悟が遅かったんだ・・・・










この作品の続きは「恋知る瞬間」になります。

★ここまで読んでくださりありがとうございます!

青エク小説2本目v、Sでストイックでそっけない。しかし愛に溢れた雪男はんに萌えています。
私だけかもしれないけど(´Д`)




H23.7. 蜜星ルネ







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